センチメンタル・ジュライ。
真面目そうなことを書くとき、大体はセンチメンタルな気分なわけです。
誰だってそうでしょ?僕だってそうなの。
どーも、ひろし(仮名)です。
なにやら関東でも梅雨入りの発表があったとかなかったとか。
この文章を書いてる今も降りしきる雨を眺めながら鬱々とした気分でいるわけです。
普段は「可愛い女子と遊びたい!」とか「おっぱい揉みたい!」とか低俗なことが書かれているこのブログにも確実に影響を及ぼしており、少量のボケで進めていこうと思うわけです。
さて。
いきなりではありますが、僕は人の為になることがしたいのです。
まるで聖人君子です。もはやマリアです。菩薩なのです。
しかしまぁ、こんな世の中ですし?
口に出したところで
偽善乙www
とか言われるのが関の山なわけで。
そもそも偽善とか言われても、こちとら自分が『なんで人の助けになることがしたいのか』明白ではなく、その辺を深掘りしていこうと思うわけです。
なんてったってテーマの内容が漠然としてるわけですから、例えばコンビニのアルバイトなんかも僕からしたら広い意味で人助けな訳ですよ。
そこで働く人がいるから営業できるわけでしょ?オーナーさんの助けになってるわけでしょ?そこで買い物できる便利さを提供してるんでしょ?
立派に人助けなわけですよ。
当然、自分のタイムスケジュールを埋めた上で人助けがしたいので僕には前述のようなことはできないし、内容的にも限定的なので惹かれないわけです。
この辺が、偽善と言われても仕方ないのですが・・・。
いや、それこそ仕方なくない!?
そういう話ではないのだよ、自分で書いときながら読んでる人はわかるよね?
とはいえ、各国に飛んで戦争を止めたい!とか大風呂敷を広げるでもなく。
たどりついた先は、なんてことなく目の前の困ってる人の手助けがしたいっていう緋村剣心(るろうに剣心)的な気持ちだったのです。
実際、僕はボランティアに興味はあるし色々と検索もして海外での活動を考えたこともあるのですが・・・
もっと身近で困ってる人いるんじゃね?
ってことで。
ボランティアはボランティアで深く考えずにやろうとは思うけど、日本人として日本にいるなら日本にいる人を助けることが僕の出来ることな気がして。
これは海外で活動してる人の批判でもなんでもなくて、自分の心が動くことに時間を費やすべきだし、僕はそれがもっと日本で色々やってからでいいやって思ったんだよね、漠然とだけど。
こうやって誰が書いてるかわからない匿名のブログだからさ、こうやって簡単に声に出せるんだけど、天邪鬼だから基本的におおっぴらに知人には言いたくない。
でも、ボランティアやってる人って認知されたい部分もあって。
ほら、これだから偽善と言われても仕方ない。
仕方ないんだけどね、そういう社会的にプラスに思われそうな部分を抜きにしても人足助はしたい。
感覚的なものなんだよね。
むしろ社会的にどーのこーのってのは付属的なことであって、目的がステータスなわけではないの。やりたいことやったら結果的に・・ってことね。
ふと、自分でも何でそんな思考になったんだろうって気になったタイミングがあって。
これは答えがすぐ出た。
周りの人間がそうだったから、人を助けることが特別なことじゃなく当たり前のことだったんだって。
僕の祖父は幼少の頃に亡くなって、記憶もそんな詳細に残ってないくらいの頃なんだけど、とにかく葬式が盛大だった。
幼少の頃だったから当時は大きいなんて認識もなかったし、そもそもそれが葬式って認識もなかったんだけど今ならわかる。異常に大きかった。
仕事の業界では知名度もあったみたいだし、参列者が多いってのもあったみたいだけど後から聞くのは祖父に助けてもらったって人の話の多さ。
権力者故に出来たこともあっただろうけど、それが無くとも自分がやれることはやってたんだろうなってのが想像つく。
そんな祖父の息子だからか父も他人へのお金や時間の使い方が異常だ。
家族に対してならまだわかるが、他人に対しても明らかに友人の話やTVで見る父親のソレではない。これはもう自分にとって当たり前の世界だったので特に疑問を抱かずに育ったが。。。
極めつけが母だ。
例えば、雨で傘を持たずに濡れている人を見かければ自分の車に乗せてしまう。もうそんなノリ。
そんな姿を見てきたから僕にとって当たり前の行動ではあるんだけど、昨今の世の中では不審者扱いされるのもわかってるのでやらない。
でも、そうやって誰しも他人に手を差し伸べなくなったんだろうなって。
きっと僕の近親者達は、時代が違うといえど、そんな他人の評価なんて気にしていなかっただろうと思う。
故に僕は狭間で迷うときがある。
そして気付いた時には理想を追うだけになっていた。
だから『人助けがしたい』だなんて思う。
そうじゃなくて、心が動いた選択の行動が結果的に人助けだった。
これが自分にとっての正解でありジャスティスなのだ。(あまりにも真面目に文章を書いていると気づき、しょうもない照れ隠しをする)
多分きっとこの先、いまこの時期に書いたこの内容が僕の背中を押してくれることを願う。